2011年6月6日月曜日

炭焼きの誇り

「いらない炭があったらちょうだい」

とよく言われるが、いらない炭なんてない。

全部命がけで一週間もの時間と気持ちを込めて焼いた炭。

炭のひとかけらも、竹酢液や木酢液の1滴1滴も命そのものだと思っている。


この言葉を言われるたびに、自分自身の存在も仕事も完全否定されるように感じ、傷ついて立ち直るのが不可能。一生懸命に考えて、感じて、体を動かした1週間は何だったのだろうか...と落ち込んで眠れなくなる。しかも言われる頻度がかなり多いので、毎日が寝不足で絶望。それでも前へ。

尊敬する炭焼きが著書に書いていたけど、こういう人たちだけの責任ではなく、こういう現状を作り出してしまった原因は、炭焼き自身も自分たちの仕事に価値も誇りも失ってしまったこと。それが日本の伝統文化を失い、その上、森林までも荒らし、森林に生きる生命たちまでも不幸な運命に陥れてしまった大きな原因となっている。

炭焼きの自分ができることは、毎日のように崩れてしまいそうになるけど自信と誇りをなんとか持ち続けること。

人に炭をプレゼントすることもあるが、いらないからあげているのではなく、自分の命と同様の大切なものだと思っているからこそプレゼントしている。


炭はちゃんと説明しないと、「燃えカス」だと思っている人もけっこういるので、自分の常識を人の常識と考えずに、丁寧に説明し、体験してもらうことも大切だと考えている。

特にチャコールブラックスの活動は、炭を作って販売するだけでなく、世界の森林を守ること、貧困の改善など、日本の田舎の文化を使って世界中の問題を改善していくことを目指している。

炭を焼くために使った1週間は、商品としての炭ではなく、炭を通した黒いけど明るい未来というところにつながっている。炭は人類、地球の未来にとってなくてはならない存在だと思っているので、落ち込んでいるヒマなんてない。


補足: 多くの人が、炭を焼いた家庭で、炭ともつかぬ、灰ともつかぬ粉がたくさんでてくると考え、炭焼きも始末に困っているからもらってやろうと声をかけてくる。

しかし、実際には、いい炭を作ろうと努力しているので、そんな粉なんてほとんど出てこない。ちりとりに1杯くらいは出てくる。白炭を焼くときには、炭の火を消す「スバイ」に吸収されるので、ひとにぎりも出てこない。

逆に粉にするために機械を使って、お金と労力をかけて粉にしている。硬い木材や竹を、簡単に粉にできる方法があれば教えてほしいと思っている。

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