2014年1月21日火曜日

本田選手やイチロー選手のように、文集に書いた夢は実現するか

本田選手が小学校の卒業文集で、ACミランで10番をつけてプレーするというのを書いていて、本当に実現させたということでぶったまげたという報道を最近よく見る。本当にコツコツ努力してきて、いろんなものを犠牲になっているんだろうけど実現してすごいと思う。

イチロー選手も小学校の文集に将来はプロ野球選手になって、契約金はいくらいくらで、お世話になった人たちにメシをおごりたいというような詳細な夢を書いて実現させている。

2人とも小学生の頃から明確な目標や夢を持っていてすごいと思う。

私は文集に何を書いたかと、記憶をたどってみた。

そもそも私たちの学校に文集に作文を書くというのがなかったような気がします。あったのかなあ。

さらにそもそもの話、作文なんてかけなかった。本田選手やイチロー選手たちは、小学校時代からあんな見事な文章がかけて、知性もあったのでしょう。

私などは、小学生の頃、作文が書けず、読書感想文も「あとがき」の要約みたいなもので、起承転結とか今でも何のことかさっぱりわかりませんでした。

私たちの学校には作文をかくような卒業文集はなかったような気もするけど、覚えているのは、ひとり1枚好き勝手なことを書いてもいいというページを与えられたこと。

作文を書く人もいたし、イラストを描く人もいたし、組み合わせて雑誌記事みたいにする人や、マンガにする人、ひとことだけの人もいた。

そこに自分が何を描いたか思い出してみると、なんとチェ・ゲバラを描いていた。

che2

この写真をイラストにして。

なんと、オレは革命家を目指していたのだ!

今も「黒の革命」とか言って、世界を炭で救うとか騒いでいるのも、本田選手やイチロー選手のように、子供の頃に夢見たことに取り組んでいるのだと思った。

しかし、私の描いたゲバラは、手に焼肉のタレを持っていた。

そしてその瓶には、

「ゲバラ焼肉のタレ」

と描いてあった。

 

ああ~、やっぱりただふざけていただけか…

と思いましたが、さらによく考えてみると、あのイラスト自体がパクリでした。

読んでいたパソコン雑誌の読者投稿にイラストが載っていて、小学生だったのでゲバラのことなど知りませんでした。

でも、当時ゲバラを題材にしたゲームがあったのかどうかわかりませんでしたが、すごくゲバラの生き様のようなものに興味を持っていたことは確かだったようです。

そしてこれはこじつけですが、小学校の卒業文集にはゲバラを描いた。そして、手には焼肉のタレ。

これは、もしかしたら今、黒の革命を通して世界を満腹にすることに取り組む未来を暗示していたのかもしれません。

本当に小学生当時の自分が、ゲバラのようになりたいと思って描いたとしたら。99%はふざけて描いただけですが、1%はそうでもなかったような気持ちもありました。そうであるならば、小学校の卒業文集のパワー。

12歳の魂、100まで。

2014年1月17日金曜日

運動オンチが、スポーツができるようになる方法から、苦手なことをどうできるようになっていくことができるか考えた。

少年時代に体育が全くできなかった私が、けっこういろんなものをできるようになったプロセスはどういうことだったのかと、ふと思うことがあって書いてみました。

惨めな少年時代

小学校、中学校と、スポーツが苦手であることがえらいコンプレックスになっていました。

少年野球に入っていたものの、体育の野球のときですら一度もバットにボールがかすったことすらなく、打球は捕球できず、バレーボールはレシーブするとどこかへボールが飛んでいってしまうし、バスケットボールはゴールにもちろん入ったことがなくてパスすら回してもらえなく、中学のときに入ったテニス部でもボールがラケットに当たるとホームランになるのでテニスにならない。体育の通知表が5段階評価でも2、10段階評価の中学でも2。

多感な少年時代にスポーツが苦手というのは本当につらいもので、友達と遊んでいてもチームわけするときに戦力として期待されないので最後まで残ってしまうし、女の子の前でも恥ずかしいところばかり見せることになるので本当につらいものです。

ずっと2だった体育の通知表が5に

しかし今ではそんな苦手意識はありません。というか、スポーツしないからというのもあるし、苦手は苦手だと開き直っているところもあります。

でも、小学校中学校と体育の通知表はいつも2だったのが、高校生になると、5段階評価で、1年生で3、2年生で4、3年生で5になりました。

大学でもよくみんなでバスケットボールやテニス、野球をやり、運動神経がないことはすぐにバレることもありましたが、バスケットボールは一時はバスケ部出身かと思われるくらいまで上達したことがあるし、テニスは相変わらずへたくそですが、なんとか試合になって楽しめるくらいになり、インラインスケートもスケートパークで小学生たちに特訓させられていろんなおもちゃでジャンプできるようになったし、スノーボードもかなりいい線行っていたのではないかと思います。

運動神経ないながらも、この暗黒の小中学校時代と、相変わらずバレーボールとか野球をやるとつらい思いをしましたが、やや光の見えてきた高校時代や、部分的に得意なものスポーツができて、運動オンチながらもいろいろこなせるようになった大学時代。

必要だったものは運動神経ではなく、「興味」

小中学校の頃は、「一生スポーツなどやるまい」と心に誓っていたのに、こうも変化していったのはなぜかというと、それは多分「興味」。

普通の人は、子供時代にテレビとかでも球場にいったりとかして、野球とかサッカーをみてヒーローになるような選手がでてきたりとか、そうしている間にそのスポーツがどんなものかもわかるようになっているのだと思う。小さい頃からクラブに入っていればなおさら。

運動の素質のある人なら、嫌々やらされたスポーツでもあるていどできるのでしょうが、そういうものがない人は、興味がないと早くこの時間が過ぎてくれないかと思うだけで、向上心など全くのゼロ。野球の練習ひとつひとつをやっていても、何のためにこういうことをやっているのかわからず、ただみんながやっているからこういう動作をするのだろうという感じ。

変わってきたのは、高校に入ってラグビー部があったので、スポーツは自分には無理だろうと思いながらも、人とぶつかったり、走るのは人並みにできたので、もしそういう部分が多ければ多少はできるんじゃないかと思いました。あと、当時読んでいた漫画とか、スタローンとかのマッチョ映画の影響で、単純なマッチョ志向がありました。

練習1日目で、「自分には無理」と思って、やめさせてもらいに監督のところに行ったら、「ラグビーが好きかどうか、できるかどうか、やってみなければわからないじゃないか!」ということを熱く語られ、話された内容は右から左へ抜けたけど、コレ以上「それでもやめます」といえるほど根性があったわけでもないし、なんとなく期待されている感じがして、特にスポーツに関してこんなに期待されたのははじめてだったので、部に残ることになりました。まあ、その期待はただ部員不足だったので誰でもいいから残って欲しいというものだったと思いますが…

しかしラグビーがそれまでのスポーツと違ったのは、毎日練習の最初と最後にタッチラグビーがありました。球技は球技でも、バスケットとかだとパスが回してもらえず、コートに突っ立って終わりということばかりだったのですが、タッチラグビーはボールもっている人を一生懸命おいかけているとパスがもらえて、得点できることがわかりました。こんな経験ははじめてでした。

また、ラグビーはいろんな体型やそれぞれ違う特徴をもった人たちに、それぞれ合うポジションがあって、サッカーとか野球だとどのポジションでも求められるスキルは比較的同じで、それができないと話は進まないということはありますが、ラグビーの場合だと、キックの上手い人はそういうポジション、足が速い人、背の高い人、低い人、パワーのある人、スピードもパワーもある人、何もないけど職人技を持っている人など、けっこう誰にでもぴったりはまるポジションがありました。

これはオレにもできそうだと多少自信を持ち、もちろん運動神経ないしビビリ屋だったので、できないこととか乗り越えるのが難しいことは多かったけど、テレビでラグビーの試合を見たり、本を読んで研究して練習していくうちにできるようになってきました。

少年野球とかテニスをやっていたときにはなかった前向きな姿勢です。

それで毎日スクラムの練習をしていると、腰を落として背中をまっすぐにする姿勢が、どのスポーツをやるにしても共通したものだとあるときに悟りを開いて、その後はいろんなスポーツを楽しめる程度にはできるようになりました。

苦手だと思っていることは、ただ興味がなくて研究不足なため?

少年時代の私は全くスポーツに興味がなかったので、「興味を持て」と言われても興味がなかったと思います。

ただ、格闘マンガとかは読んでいたので、空手とかテコンドーとかなら興味を持ったかもしれません。キャプテン翼は読んで憧れてもいたけど、実際のサッカーを見たりやったりすると、キャプテン翼ほとおもしろくはなく、キャプテン翼ではすごいシュートが打てればゴールできるけど、実際のサッカーではボールに触れたりタイミングが合って適切なコースに飛ばなければ得点できないとかあって、どうも違う感じがしました。せっかく興味がわいても現実とマンガのギャップがありすぎても、リアルには興味がなくなって2次元の住人になってしまうようです。

では、どうすれば興味が持てるのでしょうか?オレもわからん。ただいろんなことをやって、いろんな人に合うしかないけど、そもそもそれも苦手という人もいる。

興味を持つ方法はわからないけど、苦手だと思っていることは、直視することをあきらめていて、研究不足から苦手のままになっているものが多いと思う。やれば多分何でもできて、グレイトになれるかどうかは才能とかもあるからわからないけど、自分が楽しめたり、普通に仕事としてできるくらいのレベルにはなれると思う。

2014年1月16日木曜日

モノづくりに特化したクラウドファンディングのzenmonoのトップページで、燕三条祭り!

挑戦中のクラウドファンディング、皆様のおかげで昨日の夜や今日もご支援いただきました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

サービスを使わせていただいているzenmonoさんのウェブサイトのトップに、燕三条が2つも紹介されています。

私は面識ありませんが、いろいろなところからお話を聞く機会の多い燕の株式会社MGNETの武田修美さんです。「金型屋さんが生み出した自社製品ブランド」として記事になっています。

私の実家も燕で金型をやっていましたし、最初の就職先も金型屋だったこともあり、燕&三条のラーメンを筆頭に大好きな私としてはとてもうれしいです。

http://zenmono.jp/

クラウドファンディングの方もご支援よろしくお願いします。
http://zenmono.jp/projects/22

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2014年1月15日水曜日

燕三条の町工場技術が、世界を救う!クラウドファンディングを開始しました。

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クラウドファンディングをスタートしました。

長い期間をかけて準備してきた、燕三条の町工場からフィリピンの貧困にあえぐ人々の仕事づくりを行うためのクラウドファンディングが、今日の0時にようやくスタートさせることができました。

ここまで来るために、準備中の期間でも何度も自身をなくしてめげそうになったのを、クラウドファンディングを使わせていただいているzenmonoの三木さんと宇都宮さんにはいろいろ励ましていただいてり、アドバイスいただいたりと、まさにトゥギャザーしてくれて挑戦することができました。

そしてうれしいことに、開始して1日経たない今でも、6人の方がパトロンとして支援していただき、7%を達成。そして2人の方がマーケティングや営業を支援していただくサポーターになっていただきました。

 

燕三条の町工場技術が、世界を救うプロジェクト

燕三条の町工場で作った、ドラム缶にとりつけるだけで、簡単に煙を出さずに炭焼きができるインスタント無煙炭焼き窯で、フィリピンの貧困にあえぐ人たちが、ココナッツの殻を使って炭焼きをし、練炭を作って販売して収入を得られる仕事作りを目指します。

図面も描けない私が、シンプルだけどどうしてこれで炭になるのか理解が難しいものを人に説明して製品にするのはあきらめていましたが、「燕三条の工場とかに頼めば、図面なんかなくても次の日には試作品できてっろぉ」というある人の言葉を頼りにお願いしに行ったところ、数日後には素晴らしい試作品ができていました。そして日本の里山には昔から同様のテクノロジーを持っていて、世界を救う力があるとも思いました。

支援していただいた方々への感謝の気持ちとして、活動報告や、越後炭焼きの会のじいちゃんたちが土窯で丁寧に作った炭、炭で土づくりをして化学肥料や農薬を使わずに手作業で草取りをして育てたあわいに開けた蒲原平野の米、出張ワークショップ、インスタント無煙炭焼き窯です。

「炭で日本を健康に、世界を満腹に」がチャコールブラックスの目的です。炭焼きで森や土や人を健康にし、炭焼きでの仕事作りや、土づくりなどを通して世界から貧困や食料問題などをなくし、いつか世界のみんなとアフターマッチファンクション(ラグビーの試合終了後に敵味方なく食事をしながらの交流会)をすることが夢です。

目標金額達成できるように60日間がんばります。ご支援いただけるとうれしいです。

http://zenmono.jp/projects/22

tsubamesanjoproject

黒の戦士物語のスライドが、2013年のトップ1%のスライドに

slideshare

チャコールブラックスのいくつかのプレゼンをアップさせていただいている、SlideShareから、

おめでとうございます!

あなたのスライドは、2013年に多く見られたトップ1%になりました!

というメールが来た。

おまけに、最後には、

あなたのスライドは、2013年に、28325人もの人に見ていただきました。

これは、モナコの人口とほぼ同じです。

と書いてある。ホントかどうかわからないけど、悪い気はしなかった。

なぜなら、今までの人生、トップ1%に入ったことなどなかったから。トップ1%に入るとは、こういう気持ちかぁ…という気持ちがわからないけどわかった。SlideShareさん、ありがとう。

こちらが、トップ1%になったスライド「黒の戦士物語」です。

2014年1月11日土曜日

自分の股下を知る

ファッションに興味がない…というより、何を着たらカッコよくなれるのか、自分らしいのかがあまりよくわからない私は、大体上から下までユニクロの人民服を着ている。

ユニクロだけでもいろいろ選んでカッコよくコーディネートできる人もいるのだろうけど、私の場合は服が破けたりとか汚くなったりしたときに、人民服を「補充」をしにいくための場所だ。

年末にジーンズの膝上あたりが破れ、その後チノパンを洗濯して干そうとしていたときに、ケツのあたりがちょっとやばそうな感じがあったので、補充しに行ってきた。

ズボンを買うときに、気がついたことは、自分の股下を知っていたほうがいいのではと思いました。

というのも、ケツの破けたチノパンを購入する際、試着をして、なんかすそ上げしなくてもよさそうな感じだったので、そのまま買ってはいていた。

でも、なんか短くてひらひらして落ち着かない。新しく買うためにサイズを見てみると、股下76と書いてある。他のジーンズとかの股下をはかってみると、78か80くらい。

めんどくさがったために短いズボンを数年間もはいていたのかと思いました。

買うときに店員のお姉さんにすそのサイズを調整してもらうのがどうもわずらわしくて、ついスキップしようと思ったのが悪かったです。

このわずらわしさをスキップするもうひとつの方法が、自分の股下を知っておき、レジで会計するときに78cmにしてくださいとか、80cmにしてくださいと言うといいらしい。

股下も大切なサイズなのね。

2014年1月1日水曜日

SATOYAMAが国際語に?

「日本の里山文化が世界を救う」なんて、オレが考えていることなんて誰が考えていてもおかしくない。

SATOYAMAが、Mottainaiや焼きそばやてんぷらなどのように国際語になるか?とういう記事を日立総合計画研究所というところのウェブサイトで読んだ。

「SATOYAMAイニシアティブ」によって、里山で培った日本の経験を日本の強みとして世界に発信する中で、里山の概念やその保全の取り組みがどのように形を変えながら世界に浸透していくか、反対に生物多様性に関する世界の潮流が日本国内にどう流れ込んでくるのか、今後の動向が見逃せません。


また、アルファベット化したSATOYAMAが、世界に誇る日本の環境概念としてMOTTAINAIに続く言葉となり得るかどうかに注目が集まっています。それには、国内の機運の高まりも重要です。


皆さんもまずはこの週末、近くの里山に出かけてみてはいかがでしょうか。(日立総合計画研究所ウェブサイトより)

現状、日本の里山は世界に対してSATOYAMAだとか偉そうなことを言っても「オマエんトコ、どうなってんだ!?」と聞かれても、「すみません、ヤブで入れません...」と答えるのが精一杯。

しかし、実は文化とかテクノロジーでも食べ物でも動物でもエネルギーでも宝の山だと気がつき始めたし、昔からの伝統とか習慣も結構残っているし、里山文化の根化のような年寄りもギリギリ健在だし、本当にラーメンとか焼きそばのようにオックスフォード英語辞典に載るようになれるし、日本の里山との付き合いは、世界の役に立つことができると思う。

そこで、SATOYAMAイニシアティブというのが本当にあるかと検索したら、本当にあった。チャコールブラックスも早速IPSIパートナーのメンバーになるよう申請しようと思う。

satoyamainitiative

SATOYAMAイニシアティブウェブサイト

http://satoyama-initiative.org/ja/

ちなみに、現在オックスフォード英語辞典に載っている日本食は下記の通り。


adzuki (小豆、1727年)
tofu (豆腐、1880年)
sushi (すし、1893年)
tempura (天ぷら、1920年)
teriyaki (照り焼き、1962年)
yakitori (焼き鳥、1962年)

その他、そば、うどん、ラーメン、そして最近は焼きそばが載ったらしい。

「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されることになりましたが、オックスフォード辞書の方は、だんだんB級グルメになってきているのがおもしろい。