2011年3月31日木曜日

70代と30代

昨日、師匠の藤田さんと痛んだ窯の修復作業をしました。

心から尊敬する藤田師匠の指示、といっても

「オメサン、アレとってくれる?」

「アレしてくれる?」

みたいな丁寧な指示に対して、0.2秒で「ハイ」と返事をし、師匠と同じペースで仕事をするとヘトヘトになった。

その間も師匠は、僕よりもキツイ仕事を早いペースで進めていっていました。

藤田師匠70代半ば。オレは30代半ば。

普通、若いほうが体力あるはずだけど、まったくかなわん。


ラグビーの試合を数試合したほど疲れた。



しかし、その甲斐もあってか、窯は修復だけではなく、改良されて以前より性能がアップした。

2011年3月27日日曜日

チャコール・プロジェクト

「チャコールプロジェクト」のための炭焼きの準備の材料切りを、この土日に行いました。

昨日の参加者は、NPO地域循環ネットワークの五十嵐さん。

海の植林でのカイロの回収でお世話になっていますが、まさか来ていただけるとは思ってもいなかったです。

雪が降ったり晴れたりと、変な天気でした。

晴れていると、あまりに平凡な山の中の風景で、地震や津波、原発の事故などは本当に起こったのかと思うほどですが、心は今までのように晴れるものでもない。


そして今日は、元上司の中林さんと、高島さん母娘が午前中から。

午後からは本格的な森林整備をする和島の山口さんx2名(近所同士だけど、兄弟とか親戚とかではない)が来て、バッタバッタとチェーンソーで竹を切り倒してくれました。



午前中は、中林さんが昨日切ってきた竹を、炭焼き窯に入る大きさに切りそろえている間に、高島さんが用意してくれていた豚汁の材料で、TLUDストーブを使って料理してくれました。

高島さんはTLUDストーブを始めて体験したので、最初、火は普通、焚き火や薪ストーブなどでは下からつけるのが常識なので、上から火をつけるというのに戸惑っていたようでした。

しかし、炎の勢いがハンパでなく、お湯が一瞬にして沸き、豚汁も瞬間的にできたこと、

そして、炎が途中、消えてしまい、僕がライターで煙に火をつけようとしているのを見て、

「頭が狂ったか!?」

と思ったようでしたが、構造を理解するにつれて、パズルがはまったようでした。



木材の中のガスが抜け切って、炎が出なくなった後に水をかけて消火。


すると、このくらいの量の炭ができました。


さらに、どんぶりと箸は、竹を切ってつくったもの。

TLUDストーブは、材料の炭素が多く残るので、CO2をほとんど出さないだけではなく、有機物が分解される過程で自然に発生するCO2も固定化することになるので、CO2を削減した挙句、放射性物質も吸着するというし、竹の器と箸をつかって、これ以上エコな食事はないというほどエコな食事で驚いていました。



今日だけでかなり竹を切ってもらい、暗黒世界だった竹やぶも明るい竹林になって記念撮影。

後ろの頼もしそうなお二人が山口さんと山口さんです。

TLUDストーブの燃え方を、YOUTUBEにアップしました。

2011年3月23日水曜日

炭が放射性物質を吸着

福島県の野菜とか、東京の水から放射性物質が検出されたとかで、問題が大きくなっている今、

「炭が放射性物質を吸着する」

ということを聞いたことがあり、本当かどうかを調べてみました。

炭の僕よりもはるかに経験もあり、知識もある専門家や、原子力工学だか何かを研究していた方にも電話して聞いてみました。

結論からいうと、本当のようです。

原発のクリーンルームとかにも炭で放射性物質が入ってこないようにしているし、地面にも大量の炭が埋められていて、放射性物質の離散などを防いでいるそうです。

学者の方の方は、炭がなければ、中越沖地震などでも、放射性物質がもっと拡散していたはずだと言っていました。


今の東京などでは、子供は水道水を飲んではいけない上、「育児用粉ミルクを、ミネラルウォーターで調乳するのはおやめください」という情報もある。
http://www.meiji-hohoemi.com/mamapapa/history/0311index.html


それに大人の飲み水や、風呂や皿洗いなど、生活の全てを水道水を使わないわけにはいかないので、八方ふさがりな状態。


これに、炭が吸着剤として活躍してくれるそうです。

ここからはネット検索の情報ですが、昼間、ツイッターをメモ代わりにした情報をまとめます。

■原子力百科事典

難しいことばかりで、よくわかりませんでしたが、下記のようなことはわかりました。

揮発性の放射性物質に対してはセルロース・アスベストにヤシガラ炭を付加した活性炭濾紙を用い、高い濃度が予想される場合は、活性炭カートリッジを併用する。有機ヨウ素に対しては、添着炭濾紙やカートリッジを使用する。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-04-03-09


■歌手の一青窈さんが原発の放射能対策について語っている日記。
放射性物質は重金属なので
炭を食べると
体内のそういった物質をはがして
炭がうんちと一緒に外に出してくれるのを助けてくれる
という説もあるそうです。
無農薬玄米を炒って黒こげになったものを
お湯でふやふやしにして、
辰巳先生の命のスープじゃないけど
汁を飲んだら
からだが元気になったそうです。
ここで言っている、「無農薬玄米を炒って黒こげになったもの」というのは、黒焼きという炭の一種で、詳しい作り方なども、後で紹介します。

ただ焦げたものと炭は違うので、逆効果になるかもしれないので注意が必用。

http://akira918.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-39bd.html

■放射能汚染を防ぐためのレシピ

野草料理研究家の若杉友子先生の後継者の方が、放射能汚染を防ぐためのレシピを教えてくれているようです。

ここでも、

放射線は極陰性なので、梅干の黒焼き、玄米の黒焼きなどの極陽性の食品で中和されます。
と、炭の兄弟分のような「黒焼き」が登場します。作り方も紹介されていますので、読んで見てください。

http://ameblo.jp/no-na-yu/entry-10829503274.html


■純炭は放射性物質の影響を防ぐか?

放射性物質の取り扱い施設では、空気中の放射性物質を捕まえて、環境に放出させないために炭が使われます。放射性ヨウ素は炭にトラップされてしまいます。

液体中でも放射性ヨウ素を捕まえられるのか?という疑問は残りますが、純炭によって放射性ヨウ素を排泄し、甲状腺への蓄積を抑制できる可能性はあります。しかもヨウ素剤のような副作用もない。

早急な試験を希望します。

http://ameblo.jp/hari1000ppon/entry-10835468949.html


ここまでは、体の中に入ってしまった放射性物質の除去の仕方ですが、そもそも体に入れないことが重要です。

原発でも、壁や地面に炭が使われているように、我々の家庭でも、屋根や外壁に炭を置いておくことで、中に入るのを防ぐことができ、室内に炭を置くことで、室内に入ってしまった放射性物質を吸着することができるとのことです。

あと、森田玄さんのブログの中で、

■放射能を防ぐ黄緑野菜のパワー

http://moritagen.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html

という記事で、「放射能(放射性物質ではない)は、電磁波」とかかれていて、電磁波なら炭が吸収するというのは常識のようになっているので、屋内外に炭を置くというのも効果的かと思います。


学者の方の方が言っていましたが、

「日本は被曝国なのだから、放射能なんてやってはならなかった。核の被害を訴え続けなければならなかった。本当は『使ってはいけないんだ』ということを、世界に見せていかなければならなかった」

と、たまに真っ当なことを言ってくれました。


さらに、そもそも放射能とは何かということに関して、

空の上や、地球の地面深いところでは放射能が多くて生命が生きれるようなところではなく、ほんのわずかな環境の中でやっと生命が生きていける環境があるそうです。

そのわずかな生命の生きれる空間に放射能を持ち込むことはどういうことなのかということに気がつかなくてはならないと。

もともと星が誕生するときに、放射能やラジカル因子だらけなかで、有機物がうまれてきて、ラジカルがおさまってからやっと生命がでてくるそうです。

原子力を使うということは、我々が生きている空間を、生命が生まれる前とか、絶滅したて宇宙のチリとなった空間を作るようなものらしいです。



■黒焼きの作り方はここに書いてあります。

http://cielo8.blog15.fc2.com/blog-entry-110.html


これでなんとなく、炭焼きとして今回の災害についてできることがわかってきた。

黒焼きや炭焼きをがんばります。

石巻での活動と感想と今後

先週の金曜日に新潟の東ロータリークラブ様で、バイオ炭についての講演をさせていただき、その帰りに三条や長岡へ行って、炭を被災地に送るための相談をしてきました。

必用な支援物資の中で「炭」が入っていて、寒い避難所での暖房用や調理用なのですが、新潟は冬の間が雪で炭焼きはオフシーズンなので、すぐに用意できる炭の量はわずかでした。

それで、炭の代わりに自分をトラックに積んでいくことで、その辺にある支援物資の梱包などを利用したTLUDストーブなどを作って、調理に使い、できた炭をそのまま火鉢に入れて室内に使えるのではないかと考えました。

行くかどうか一晩考えて、翌朝の土曜日に、三条で支援物資のとりまとめをして、石巻へトラックで送っているグループのヒゲ職人に電話し、10時くらいに物資を積んで出る便があるということで、それに乗せてもらうことに。

TLUDストーブの作戦が有効でなくても、物資運びや仕分けなどをやるつもりでした。

「山へ道具をとりにいくから、12時くらいにして!」

とお願いして、ちょっと待ってもらえることになり、トラックがつくのもちょうど遅れることになって時間もできました。

しかし、どこかから来たそのトラックに乗っている3人のうち、一人が三条で降りる予定だったのが、そのまま石巻へ行くことになり、夜出るトラックに載せてもらうことになりました。

過程を書いていくとだらだら書いてしまうので、石巻で見てきたことを。

結論から言うと、燃料としての炭や、薪などを燃やすストーブが必用な時期はすでに過ぎていて、暖房がなくて寒いですが、毛布はかなりいきわたっていて、津波で油が回りに広がっているところもあり、外で火を焚くことができない場所もあり、山にいる人などはすでにペール缶などでストーブを作って燃やしていました。カセットコンロも集まってきていて、家に残っている人たちはプロパンガスが使えるところも多かったです。

そのため、一緒にいったアツさんと、名前忘れてすみませんが、ずっと運転してくれた人と避難所を回って物資を届けてきました。


災害ボランティアセンターのある石巻専修大学に拠点をかまえた「め組JAPAN」という団体の活動で積んできた物資をトラックで避難所を回って届けました。

ここに書くことは、日曜日、月曜日の話で、1日で状況がかなり変わっているので、必用な支援とかも変わっているので、そのつもりで読んでください。また、行ったところも限られているため、ここに書いていることはほんの状況の一部分です。

回ってみると、結構避難所には物資が届いているような感じでした。

多分、災害の最初の頃は、

「物は送るな。人は行くな。」

という意見が多かったため、物も、それを仕分けて配布していく人も限られていたため、民間による物資の到着が遅れて、その後、かなり食料や毛布などを含めた物資が不足しているという情報になり、全国でかき集めて仕分けしていたのが木曜や金曜で、到着し始めたのが土曜日や日曜日だったので、その日はある意味、物資ラッシュだったと思います。

どこに行っても「十分足りている。」ということで、必用なものを聞くと、「ガソリンや灯油、それに肌着」という回答でした。

みんなずっと着替えていないし、風呂にも入っていなかったので、肌着はかなり貴重でした。

避難所には物資が届いていても、家に残っている人たちは、避難所から物や食料をもらうのを遠慮したりできなかったりするので、地域の集会所みたいなところに届けると、やっぱり食べるものとかもないし、被害の激しいところから避難してきた人たちを自宅に受け入れたりしていたので、毛布や布団とかも不足しているということで、大変ありがたがられました。


避難所も、リストにも乗っていない、近所の人たちが集まっている避難所などがあり、翌日はそういうところを聞き込みして訪問してみると、月曜に訪問したときに、避難所などから食べ物をもらえなかったため、前日まで食べるものがなく、お菓子を食べてしのいだと言っていました。

そんな話をしている中で、そこに煮卵があり、それを熱心に食べろと勧められて、腹が減っていたしおいしそうだったので喉から手が出るほど食べたかったのですが、必死にこらえました。


いろいろな状況の人がいて、

すべてを失った人がいれば、1階や車だけ失った人、地震の被害だけの人とかで、支援は結構、「一番必要としている人に...」となりがちですが、あまり失っていないけど、食べるものが全くない人とかもいて、「一番必用としている」というのをひとくくりでは言うことができません。

その隙間を埋めていくのが、民間の活動だと思っています。


感想としては、災害のときはいつもそうですが、メディアやネットの情報などを見ていると、「被災地」「被災者」などとひとくくりになり、「無力な存在」という感じに思ってしまいますが、実際は、上に書いたような様々な立場の人たちが混在しているため、自宅の復旧作業とかのために人がかなり動き回っていて、エネルギッシュな感じでした。

親しい人たちを亡くしている人たちも多かったけど、「生きている私たちがなんとかしなきゃね」という言葉も聞き、強さも感じました。

自宅の1階が水没して、袋小路なので車が3台も玄関前に流れてきたという、食べるものがない中でも毎日自宅の泥出しとかをしていて、避難所で寝泊りしている方が

「災害になるとボランティアが来るのに、私たちのところは来てくれないんでしょうかね?」

と聞いてきました。

ボランティアセンターも立ち上がり、登録者も何百人とその日だけであったようですが、情報が届いていないのと、必用な人と結びつけるマッチングにまで至っていないのもあります。

いつも災害のときに思うことですが、阪神淡路大震災のときに、物が集まりすぎたとか、ボランティアが来すぎたとかということを「2次災害」とラベル付けして、それがその後もいくつもの災害を経験するなかで、余計強くなってしまい、ネットで情報や意見がすぐに流れるようになり、阪神淡路の「2次災害」のフィルターを通して物事を見ることになってきたために、今回は支援が大きく遅れたように思います。

「あのときこうだったからこうだろう」

という過去の経験のフィルターを通したダウンローディング的な考えを前提とした対応は、一度全てのタブーを取り払い、「今すぐ物資と人が必要」と「2次災害」という矛盾した状況の中で、見直していかなければならないと思います。

そんな意見なんかはともかく、今後は何ができるかということですが、実際に被災地を見るまではごちゃごちゃといろいろと考えていたのですが、炭を焼いて、それは避難所でも、仮設住宅に入ったあとでも、農地などを復活させるためにも使えるし、防災という面からも、災害直後の数日間に使える大切なノウハウが詰まっているので、その方面の活動をしていきたいと考えています。

帰りは郡山経由で帰ってきたのですが、知ってはいたものの驚いたのが、宮城の石巻での大きな被害を見て、180キロほどを3時間くらい運転してついた郡山も電車も走っていなければ、店も開いていない、街には明かりがついていないというのを見て、どれだけ被害を受けた地域が広いかというのを実感しました。

夜遅くと早朝だったためか、石巻で感じたようなエネルギーは感じず、ちょっと違う感じがありました。電車の動いていない駅では、多くの人が大きなかばんを持ってバス停の列にならんでいて、家族連れの方々も、お父さんはバスを見送り、子供と奥さんはバスに乗るという光景も多く、原発への不安が暗い影を作っているように感じました。

2011年3月16日水曜日

生きる力

おはようございます。

福島原発の危機もあるせいか、新潟での食品や日用品、ガソリンの買いだめなど見て驚きました。

僕のようなひとり暮らしと、家族を守る立場にいる人は感覚が違うと思いますが、地震後の日本人の行動の立派さが海外メディアで報道されていただけに、ガッカリしてしまうところもありました。

買いだめでトイレットペーパーが買えず、我が家のトイレットペーパーは残り1ロール弱で、今日は天気が悪いからかないけど花粉症で鼻水が滝のように出てきてティッシュも薬局からもらったのが残りわずか。

しかし、慌てません。

自然の中で仕事をする炭焼きの端くれでもあるので、トイレットペーパーがなくても葉っぱがあるし、水が止まっても雨水をろ過できるし、燃料がなくなってもTLUDストーブをライトや調理に使うことができます。

が、もともとアウトドアが苦手なこともあり、上のようなことはTLUDストーブ以外にやったことはありません。

「何を学んだんだ...」と情けない気持ちになりますが、やってみるとなんとかなると思います。

地震が起きてから、その辺を歩いていると、自然に倒れた木や、間伐したやつとか、枝とか草とかたくさん落ちていて、

「これは全部燃料なのにな...」

と、いつも思うことが余計に強く感じました。

今度師匠に昔は水道もトイレットペーパーもなかっただろうに、どうしていたのか聞こうと思います。


僕の住む地域は、計画停電の対象になっていないようですが、やる気満々だったので、軽トラから炭焼きのときに使っていたアウトドア用の蛍光灯ランプを出しました。


なかなか便利で、かなり明るくなります。

かなり電池をたくさん入れるので、長期的に見て省エネかはわかりませんが、必要なときは役立つと思います。

まだ役に立っていないけど、こういう道具を持っていたり、ちょっとはサバイバル能力がついてきたのは炭焼きのおかげかと思います。

あとは山の植物とかでどんなものが食べられるかとか、師匠が知っていれば聞いてみたいと思います。


今朝のニュースで、ライフラインが復活していない避難所で、女性たちが交代で薪拾いをして薪で料理をしたり、おじさんたちが重機で穴を掘って、その辺にある材料でトイレを作っているのを見て、「生きる力」というのはこういうものだろうなと感動しました。


昨日、師匠の藤田さんと少しお話をして、「我々に何ができるかを一度考えませんか?」と提案しました。

藤田さんのすごいと思うところは、言葉にだいぶ省略はありますが、装飾とか誇張とかが全くなく、心からの言葉が出てくるところですが、快く賛成してくれて、他の人にも相談して日程を決めることになりました。

被災地の支援にはいろいろな段階があり、今の人命救助や物資の輸送などは、我々素人にはできることは少ないですが、長い避難所生活、仮設住宅の建設や、復興段階になってくると、ピンポイントでの支援になると思います。

行政は「公平」な立場で動くので、できる役割に限界があるので、そういうところは、市民団体や企業などが自分のできることで関わって補っていきます。

炭焼きや森林活動のネットワークで何ができるかは今後、みんなで考えていきますが、岩手は炭の産地で、有名な「バッタリー村」もあります。

山なので津波の被害は受けていないでしょうが、地震そのものも激しいものだったため、どうなっているのか心配です。

2011年3月13日日曜日

前へ。

地震以降、テレビやツイッターから目が離せなかった。

被害の状況も気になるし、原発も気になるし、新潟でも地震があったので、それも怖かったというのもある。

みんながこんな感じというわけじゃないと思うけど、テレビやパソコンの前で心配しているだけだと何も前に進まない。

オタキングさんのツイートが今の気持ちをうまく表現している。
地震や津波の被害、原発の情況を、僕たち日本人の大半が知りすぎようとするのは、どう考えても「負の連鎖」を生む。テレビを見るために起きていては電力を消費するし、僕たちが不安な気持ちになっても問題の解決に役立たない

今日から、できるだけ日常に戻ろうと努力した。が、無理だった。それでも前へ。

2011年3月12日土曜日

地震

強い揺れで飛び起きました。

大きなふり幅だけど、ゆっくり目な横揺れだったので、棚から物が落ちてくるということもなく、大丈夫でした。

昨日から怖いので、水をタンクや浴槽に詰めたり、ご飯を炊いておいたりしています。


昨日の地震を含めて、まだ被害の全容がわかりませんが少しでも被害が少なく、今、命がある人たちが確実に助かることを祈っています。

2011年3月8日火曜日

衝撃で目からウロコが落ちました

昨日は森林づくり国民推進運動の報告会へ行ってきました。

寝不足だったこともあり、ボケぎみだったけど、目からウロコの出るような森林活動の話を聞けて目も心も開けてしまった。

そのうちの一部を紹介しますと、


■ 土佐の森・救援隊

報告会の中で、「土佐の森・救援隊」の事務局長の中嶋さんのお話がありました。


土佐の森・救援隊は、島根で粉炭の研修を受けているときに、住まいにしていたプレハブ小屋にはテレビもラジオももちろんインターネットもなく、携帯も圏外でした。

研修が終わった後に、近くの温泉に行ったときだけが、情報収集時間であり、外部とのコミュニケーション時間だったので、温泉はチラッとしか入らずに、新聞読んだり、メールに返信したり電話をしていました。

たまたま、新聞のテレビ欄で、興味深そうな番組があり、どんな番組か覚えていませんが、おもしろそうなのが夜にあったので、社長のほぼ空き家同然になっている自宅(社長も炭焼き窯近くの小屋に住んでいるため)へ行き、見てきたのでした。

そこで紹介されていたのが、土佐の森・救援隊。

http://mori100s.exblog.jp/

当時見たときは、ボランティアで森林整備をしている団体程度の認識だったので、あまり興味を持っていませんでしたが、昨日の中嶋さんの迫力のある話は衝撃的だった。

ただ、時間が限られているので急いだ話であり、炭のことならわかるが、林業のことがあまりわからない僕にとっては理解できないところが多くあり、ブログからガイドブックを購入できるので読んでみようと思う。


■ トチギ環境未来基金

開場してから席についてボケッとしていると、見たことのある顔が入り口近くにありました。

「先週お会いしたあのお方だ!」

と思い、ここでもボケがとれて、「あいさつせねば…」と緊張状態になり、その後、ロビーをウロウロしているときにたまたま近くになったので、

「あ、先週はどうも…」

という話をして、相手も、今思えばわけわからないと思っている感じでしたが、「あ、こちらこそ、どうも、」みたいな感じの話のときに、

「栃木でこんな活動をしているのです」

というような話を聞いて、アンテナにピーンと引っかかりました。


その団体のパンフレットを見ているときに、話しかけた人が、先週会った人とは全くの別人で、塚本竜也さんという名前だということを知って恥ずかしくなりました。


トチギ環境未来基金の活動は、アメリカの18歳から25歳とか33歳までの若い人を対象にして、3ヶ月から1年くらい、共同生活を行いながら、国立公園のトレイルつくりとか、自然環境を守るための活動に取り組み、かつ、リーダーシップ研修だったりとか、知ったばかりだからあまりよくわかっていませんが、その後の人生や仕事ですごく役に立つ経験ができるConservation Corsという取り組みをモデルにした仕組み。

Googleで、「Conservation Corps」と検索すると一番上に出てくるのが、カリフォルニアのConservation Corps.

そこで、すぐに目に留まるのは、

「Hard work, low pay, miserable conditions... and more!」
(キツイ労働、給料安い、みじめな状況… でも素晴らしい経験!)

という言葉。


なんとなく状況が想像できるのは、毎年年末年始に行っている超過酷な労働のところがあって、個室は与えられるけど共同生活で、3食と、ぬるい風呂、ギリギリ6時間の睡眠時間が与えられる意外は全部労働で、しかも労働内容も常識では考えられない重い荷物を担いで地下室から3階へ運ぶなど、いつ倒れてもおかしくない状況。

それでも毎年行ってよかったと思えるのは、給料がもらえるからというのもありますが、かけがえのない仲間と一緒に仕事ができ、時間を過ごせたという経験。

あまりに厳しい仕事なので、自然と仲間意識も芽生えるが、修羅場もあります。


また、ちょっと違いますが、去年の夏に長岡市の姉妹都市のプログラムで、高校生13人が、フォートワースのインターナショナル・リーダーシップアカデミーという7カ国から参加する100人以上もの高校生や大学生のファシリテーターと、オマケである我々引率たちと共同生活をしながら、厳しいスケジュールで活動をこなしていくもの。

これも、最初は高校生たちは言葉も通じなく、受け入れてももらえず、泣いているのですが、仲間や自分の意思でいろいろとチャレンジしていくことによって、最後は感動的な友情の場と、劇的な成長に立ち会えるという経験もありました。


また、今の事業計画に足りないものを感じ、それは、炭という「モノ」の果たす役割などが大きく、「人」という視点での詳細な設計図というか、仕組みを考えていなかったということです。

伝統を受継いだり、森を守ったり、海外で炭焼きを広げていくのも「人」がやっていくこと。

そういうことに気づきはじめていた昨日、Conservation Corpsというものがあると知り、チャコールブラックスの活動に応用するにはけっこういじらなければならないと思いますが、「これだ!」と思いました。


数ヶ月前に、Teach for Americaのウェンディ・コップさんの書いた「いつか、すべての子供たちに ~「ティーチ・フォー・アメリカ」と私が学んだこと~」という本を読んで、ティーチ・フォー・アメリカは最初、「Teacher Corp」として作られたことを知りました。

Teach for Americaというのは、去年、グーグルやアップルを抜いて、大学生の就職したい職場ナンバーワンになった非営利活動団体で、優秀な学生が卒業後の2年間、教育が行き届いていなかったり、問題を多く抱えている地域などで教員として派遣し、教育そのものや、メンバーの成長を通して社会に貢献する活動。

本を読んだ後、これを日本で展開していきたいと活動しているLearning for Allという団体があることを知ったときは感動しました。

http://www.learningforall.jp/

Peace Corpsというのもあるらしく、去年のホームステイ先の夫婦も参加していて、開発途上国で活動をする青年海外協力隊に近いようなものだと理解しています。

なんとかCorpsとは違うけど、若い英語圏に人たちが日本などで学校の補助英語教員として活動できるのも、十分に活躍できていないかもしれませんが、社会や本人の成長にとってすごく役に立っているのだと思います。

そんな風に、社会の役に立ち、かつ若い人たちの成長につながるようなことを、森や炭焼きでできないか…と毎晩寝ながら考えていたこともあって、

Conservation Corpsの話を聞いたとき

「えっ!?あるの!?」

という衝撃を通り越して、かなりあっさりとした感覚でした。

一応、Corps Networkというところに、「Corpの立ち上げ方」というマニュアルの送付を依頼しましたが、まだまだ全然わかっていない段階なので、お勉強が必用で、栃木の塚本さんのように、実際にアメリカのConservation Corpsに参加してみようか!とも思いましたが、年齢制限もあるし、これから3ヶ月とか1年とか行っている余裕はないので、誰か行ってきてください。

外国人の参加だと、大卒以上もしくは4年だか5年以上の環境の仕事の経験がある人で、参加費は無料のようです。


まだまだ昨日であった中で紹介したい活動があるのですが、長くなってしまったのでここまで。

2011年3月6日日曜日

食べ物と健康の関係

は難しいという話。

先日、またあるおばあちゃんのところへ買い物に行ったら延々と、

「豆腐やこんにゃくみたいな練り物は絶対にくうなよ」

という話。

このブログを読んでくれている人なら誰が言ったかわかると思うけど、ばあちゃんは、「私が言ったというな」と強く念を押したので、誰が言ったとは言わない。

興味がある人はこのブログからヒントを探して行ってみてください。顔を見た瞬間しゃべり始めます。


通常、豆腐とかこんにゃくは健康食の代表のようなもので、精進料理とかもこういうものを食って、坊主とかが長生きしたイメージがある。

しかし、同じものでも昔と今では使っている材料が違うものもあるので、いいとは言い切れないかもしれない。

ばあちゃんいわく、

「ある人が豆腐屋の3軒となりに引越ししたら、1ヶ月も経たないうちに病気になった」

と。

その原因は、昔の豆腐とかこんにゃくには使っていなかった凝固剤が、血液まで固める余計な仕事をしてくれるから。


ばあちゃんの話が本当なら、今は健康に気をつかっている人が多く、精進料理みたいなものを食っている人もたくさんいて、でもそういう人ほど体の調子が悪かったりするのは、理屈と実際のものは違うからか。

逆に「こんなもんばっかり食っていて大丈夫か?」という人がピンピンして長生きしていたりするのは、無意識で食っているのが、意外なことに健康食だったりするのかもしれない。

ばあちゃんの話を聞いてから豆腐やこんにゃくが恐ろしくて食えなくなったけど、今日はスーパーの凝固剤で固めたと思われるこんにゃくを食った。

「豆腐もダメなのか...恐ろしい時代になった」

と思うけど、「アレは食ってはいかん。コレもダメ。」

というような人に健康な人があまりいない感じがするので、気をつける何点かは気をつけるにしても、できるだけ何でも食いたいと思う。

凝固剤を使わない豆腐屋とかこんにゃく屋が増えればいいのに、と思う。