2012年6月20日水曜日

日本的だけど異国のように感じる



何日か前の猿倉岳からの景色。これ以上日本っぽい景色はないような気もするが、蒲原平野育ちのオレには異国の雰囲気を感じる。見える集落は種苧原だろうか。タネスハラと読むらしいけど、「タナスハラ」としか聞こえない。異国情緒たっぷりな響き。地元の人の会話の中で、地域名か人の名前か知らないけど、「マッゾゥォ」という不思議な、明らかに日本語の発音とは思えない響きの言葉が出てくる。それもオレが蒲原平野のスワロウシティで生まれ育ったからか。

今日、柿城があったと言われる山から長岡の町を見下ろしているときに、84歳の人になぜこんなに広い平野が山と山の間(柏崎側と悠久山側)にあるのに、人は山を切り開いて棚田を作り、毎日数十キロもの荷物を担いで登り下りして、冬は雪に閉じ込められながらも中山間地域に住んでいるのだろうか?という素朴な質問をした。

その方が言うには、奈良時代あたりには、平野部は川がもっと広く、しかもよく氾濫していて沼のようでとても住めたものではなかったと。戦争直後くらいにも長岡駅の東側とかは池みたいなところで、田んぼも船に乗って水の中に稲を植えていた状態だったと。

千年くらいかけて潅漑を繰り返してきて、今のように人が住めて大規模に農業ができるようになってきたのだと教えてもらいました。

ついでに、大和朝廷時代に新潟や北陸地方が一大文化圏を作ってきたと聞く「高志の国ってどんなところだったんでしょうかね?」とつぶやくと、「山ん中にいたんだろう」と当たり前だろうというような感じでした。

聞いたのは長岡だけの話なので日本全体に当てはめられないけど、もし全国でも同じような理由で人が山の中に住んできていたのだとしたら、山の暮らしこそが日本の文化と言えるのかなと思いました。日本とまで大きな話にならなくても、見たこともなく、詳しい話もよくわからなくて想像もできない高志の国の文化だったんだろうかと無知ならではのワクワク感がある。

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