2019年12月2日月曜日

栗木さんの死と技能実習生ブローカー

単独、無酸素でのエベレストなどの登頂を目指していた栗木さんが1年ほど前にエベレストで亡くなった。

登山のことも栗木さんのことも良く知らないが、熱い気持ちにさせる講演会好きな知人から何度か誘いを受けたことがある。すごいチャレンジをしている人だったが、「単独、無酸素ではない」という批判や、登山家として努力しているわけでもないのに、経験豊富な登山家でもできないことにチャレンジしていて無謀だという批判でもあり、「このままでは死ぬぞ」という警鐘のような意見も多くあった。

最近、気になって栗木さんの過去の動画を見たが、死の直前インタビューは空元気で、無理やり笑ってキャラを作っている感じが痛々しかった。

登山家として登山の技術や体力をつける努力はしていたと思うが、本物の登山家の人たちから見ると不十分なようで、「あれは登山家ではない」「マラソンで例えると市民ランナー」「勉強せずに東大の受験を毎年するようなもの」という意見もある。

栗木さんは以前は「ニート登山家」「ひきこもり登山家」などと名乗っていたこともあり、彼の挑戦というものは何も持たない人が何か大きなものに挑戦するというストーリーを作って、それが一般的な人たちの共感を得てきたのだと思う。

動画でよくタイトルになっている「『否定という壁』への挑戦」というもの、彼が永遠の素人であることを前提になっているように思う。

これと技能実習生のブローカーがどうつながるのかというと、半年ほど前に、Facebookで送り出し機関のブローカーになって、「起業」しようとした人が「お客さんを紹介してください」などと投稿し、「それはブローカーでしょ!」と炎上したことがありました。

本人は技能実習法など知らなく、ブローカーを通して日本に行く人たちがどれだけの借金をしてそれが彼ら彼女やその家族たちの将来にどう影響するのかなど全く知らないため、一生懸命反論していたが力尽きて辞めるというようなことになった。

本人の個人Facebookを見てみると、「せっかく人が新しいことに挑戦しようとしているのに、否定する奴らの多いこと。こんな日本はダメだ」みたいな投稿がありました。

お前のようなブローカーがいる日本の方がダメだろと投稿したくなりましたが、多くの人たちは新しいことへのチャレンジ自体を否定したわけではなく、そもそも法律に反しているし、倫理的にも間違った悪の道だからで、残念ながら彼はそれを理解することができず、ことなかれ主義のバカな連中の「否定の壁」が立ち向かってきたと感じたようです。

栗木さんの挑戦は法律や倫理に反してはいませんが、「否定の壁」はこのブローカーの話とつながる点がややあるように感じます。否定しているのは素人ではなく、その道のプロが俯瞰した視点でアドバイスをしているだけです。栗木さんの場合は先輩たちが、「もっと登山の技術や体力をつけるための努力をしろ」と言っていたのを、あくまで素人が巨大なものに挑むという設定の栗木さんには受け入れられない否定だったのかもしれません。

若い頃にはこういうことはありますし、私も後悔も含みいくつも否定を否定してきたことがあります。チャレンジへ対しての否定というものは常識的なものだと思い、常識を疑ってこそのチャレンジですが、常識に反することができるのも武器があってこそ。

失敗から学べることもありますが、死んでしまってはならないし、ブローカーも多くの人を不幸に陥れてからでは遅いです。

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