2013年9月4日水曜日

「風立ちぬ」は美しい映画か、ひとでなしの映画か

公開中の映画について語るときはネタバレに注意しなければならない。しかしつい思わず言っちゃう可能性もあるので、まだ見てなくて見に行くつもりのある人はこれより先は絶対に読まないでください。

 

風立ちぬの評価は2つに分かれる。

「美しい映画だ」という評価と、「ひとでなしの映画」。

両方が正しいよう。すなわち、「美しくて残酷」。

 

でも、映画を見た直後の印象としては、絵もうごきも本当にきれいだし、当時の我々のじいちゃんばあちゃん世代やその上の世代の礼儀正しさなどの印象は強い。

その中で、「これはひとでなしの映画だ」と発言してしまうと、発言したあながた「ひとでなし」だと思われるだろう。

「ひとでなし」というのは印象的なものでも、いろんな映画レビューで書かれているからでもなく、主人公の妹が主人公に「お兄さんは薄情者です」と何度も言っていることからもわかるように、主人公は鈍感なんてものではなくひとでなしだ。

私は映画を見たときは、「美しい映画だ」という印象くらいしか持っていなかったけど、ところどころ主人公の行動や言動には「???」というところがあった。

「どうして私と結婚したの?」というヒロインの菜穂子に対し、主人公は「きれいだから」という。

こういう何気ないやりとりでも、流れの中で見ると、「えっ???」というのがいくつも出てくる。多分、女性の場合はもっといろいろな「えっ???」が出てくるはず。

映画がどれだけ自然に主人公のひとでなしっぷりを表現しているのかわかったのは、映画を見てからしばらくしてからこの予告編を見てから。

主人公の声の役をやっている庵野さんは映画監督で声優は素人。予告編の最初の一声を聞いた瞬間にあまりの棒読みに笑ってしまうか、ズルッとずっこけてしまう。

しかし映画の中では、この棒読みが全く不自然に感じなく、逆に素朴な青年という印象を受ける。

こんなに不自然なのに、近くにいると「しょうがねぇなあ。加藤らっけな」と私も言われたことがありますが、他の人が言っていたら多分殴り殺していると思うけど、変態の加藤の言うことだからスルーした、といわれたことがあるが、そんな感じだと思う。

絶対おかしい変なやつなのに、近くにいるとなんとなく「しょうがねぇなあ」と思えてしまうような、なんとなく自然な感じ。こういうのをうまくなんてもんじゃなくくて表現できていると思う。

まあ、こういう風に考えるのも、岡田斗司夫さんの解説を聞いてから。あまりにも的確すぎて、映画を見ていたときの違和感がほぼ解けてしまった。

一個人の考えだし、それだけが正しい認識ではないけれど、映画をいろんな角度から見るための参考として読んでみるのをお勧めします。絶対に映画を見てから読んでください。

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ひとでなしの映画だけど、このひとでなしは宮崎駿であり、語っている岡田斗司夫さんでもあり、そして私自信であるように感じる。

見る人全てがひとでなしの自分を感じるわけではないはずですが、私自信は、主人公のような大きな仕事はできないけれど、同じくらい人でなしのように思った。

 

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