2011年5月3日火曜日

「ネイチャー」誌でライバルの特集

一方的にライバル視しているアメリカのバイオ炭企業の創業者のジェイソン・アランブルが「ネイチャー」誌のオンライン版で特集されていた。

ライバルということもあって和訳してみましたが、でかけるので途中まで投稿。

アメリカはバイオ炭や農業、温暖化、新エネルギーなどへの対応で日本と文化が違うから順風満帆だったんだろうなぁ...と思っていたのですが、やはり苦労というか、ピンチはあったようでした。

スーツ着てプレゼンしている姿しか見たことがなかったけど、まさか自分で溶接までやっちゃうとは...。頭だけでなく、肉体労働でも負・け・た...。
リンク
しかし溶接のヒントも近所の溶接工と食事をしながら教えてもらい、炭化や熱分解の情報はYouTubeの動画を見まくったなど、最初から専門家だったわけではない。

刺激になったのでがんばろう。

原文
http://www.nature.com/nclimate/journal/vaop/ncurrent/full/nclimate1091.html

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ブラウンの縮れ毛をした25歳のテキサス人のジェイソン・アランブルが始めてバイオ炭のことを知ったのは、プリンストン大学在学中に、パナマのスミソニアン・トロピカル・リサーチ・インスティテュートを2006年に訪れたときだった。

古代アマゾン人が、砕いた炭を土壌にいれ、イモやトウモロコシの収穫量を上げていたことを知った。

しかし農業廃棄物で作った炭を土壌に入れることは、炭素を何千年間も固定することになる、とアランブルはおもっあt。

コーネル大学の土壌科学者のヨハネス・リーマン教授の2006年のアランブルをバイオ炭による炭素固定の可能性に気づかせた論文には、実践するためのプランがなかった。

「だから、自分がやることにした」



ニューヨークのブルックリンにあるアーティストに人気の800平方フィートの鉄工所のスペースを借りた。

そして、古いジーンズに溶接ジャケットとカウボーイブーツを身につけ、トウモロコシの茎や籾殻、そのほかの穀物の廃棄物をバイオ炭にする機械を作るために建物を改造した。

溶接のヒントは、通りの向かいのロージーズと呼ばれる食品移動販売車で、ポーランドソーセージを食べているときに仲間の溶接業者から聞いた。

「それにすごい量のYouTubeのビデオを見た」

3ヶ月後、プロトタイプが完成した。10フィートの高さの、ステンレスの筒状のキラリと光るものだった。

アランブルはジーンズをスーツに着替え、アイデアをベンチャーキャピタリストに売り込みに行った。

しかし、最初のミーティングで得るものはほとんどなかった。

あきらめるかわりに、やり方を変えた。

アランブルは、2人の兄弟も含めて起業家の多い家庭出身だ。「僕のおじいちゃんはサンタ・ドミンゴで花を売っていたと聞かされながら育った」


(途中省略)

現在、ジェイソン・アランブルと2人のエンジニアと2人のビジネスディベロッパーと鶏の群れで構成された彼のチームは、テキサス州オースチンの産業中心地のコンクリート工場で活動している。

「我々は複数のヤギを追いかけています」

アランブルは言います。

彼の親しい友達が自転車タクシー会社を運営していて、400平方フィートのオフィスとして使用している家を、アランブルが青と緑と赤にペイントした。

家の前の庭には、kaleやブロッコリー、chardを栽培していて、アランブルのプロトタイプの材料になる。

庭には、55ガロンの再利用のドラム缶が転がっていて、それがアランブルの機械の最新モデルの材料となる。

アランブルがオースチンに移動したのは2009年のことで、ベンチャーキャピタルのファンドを得るには、まだまだ改良をしなければならないと気づいてからだ。

ロブ・デイによると、彼は正しい選択をした。

「しょっちゅうクリーンテクノロジーの起業家から話を受け、彼らがいいネズミ取りを作るのだけど、一回もネズミをとったことがない」

アランブルは、2人の地元のエンジニアを雇用した。2人とも仕事を持っているが、開いている時間と、会社でのステーキをごちそうになることで助けることの同意した。

彼らと一緒に最初のプロトタイプをより暑い金属を使って改良した。

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