今日はいよいよ歴史的な一日。
7月4日はアメリカの独立記念日であると同時に、燕ではグランドの芝生化への第一歩を踏み出した日と記憶される。
今日は旧燕高校の燕中等教育学校のグランドの芝生化のための種蒔きの日。
日本でも最近は子供が安全に遊んだりスポーツを楽しむことができるように、グラウンドが芝生化されつつあるが、そのペースは遅い。燕ではまだ前例がない。
日本での芝生化は低予算の鳥取方式を採用されることが多いが、行政の支援のない我々はさらに低予算でやる必要があるので、種から育て、その辺にあるものを肥料にする「燕方式」。
その辺にあるものとは、何回も書いたように、学校の庭の剪定材で作った粉炭。
垂れ幕には、協力団体としてチャコールブラックスの名前も。
朝6時半。昨晩のドイツVSアルゼンチンの試合で寝不足にも関わらずたくさんのラグビー部OBOGが集まった。
初めてのことで、段取りなど考え切れなく、準備しきれないところがたくさんあったが、OBOGたちが話し合いながら動いて準備は進む。
たくさんの生徒やPTA、先生、地域の人たちが参加をするし、できるだけ均等に種や肥料をまくように、エリア分けをし、エリアごとのリーダーが決まる。にわかに集まった人同士が、かなり有機的な動きになっている。
7時30分。開始予定時刻。
今回の芝生化プロジェクトで一番の労をとり、ほとんどの段取りをつけてきた92ちゃんのあいさつと進行で始まる。
最初はぎこちなかったけど、だんだんと各エリアのリーダーや参加者たちの意思疎通ができるようになるにつれ、効率的な動きになってくる。
木酢液を1000倍に薄めてグラウンドにまくために、準備を始める。
ひとつ上の先輩の熊谷さんが、1000倍はどのくらいか計算しながら希釈液をつくってくれる。濃いと酸が強すぎて、逆に枯れてしまうから十分に薄めなければならない。
種をまいた後のグラウンド。
いよいよ炭を準備。
早くもみんな真っ黒になる。
こんなに真っ黒になるとは言っていなかったので、
「服がよごれると困る人はやらなくていいですよ」
といったけど、
「体操着だから大丈夫です」
と、逆に楽しんでいるような答えが帰ってきた。
顔も首も腕も服も真っ黒にして帰って、家族に怒られなければいいのだか...と心配する。
種も肥料も炭も予想通りかなりまばらになる。
芝はある程度育ってくると広がるから問題はないし、まばらになりすぎたところには種をまきなおしたり、肥料も定期的に与えるなどして修正していく。
炭を焼き始めた最も大きな理由として、「いろいろなところで炭をまいて地球を浄化する」というものだったので、こんなにたくさんの炭を地球にまくことができて大満足。
雨が降って地面と一体化しようが、風でどこかへ飛んでいこうが、どこかで炭はその浄化能力で地球を癒している。
この「死のグラウンド」にも草が育つように保水や微生物の活性化などで力を貸してくれるはず。
今日の種蒔きの模様は、ケンオー・ドットコムのサイトですでに記事として取り上げられていました。
http://www.kenoh.com/2010/07/04sibafu.html
最後の校長先生の挨拶で、燕市長から電話があった話があり、
「偉大な一歩を祝福し、誇りに思う」というような内容だった。
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