2010年11月27日土曜日

粟島報告:アブラコをワッパ煮に再び

昨日、一昨日と、ずっと興味を持っていて全然行けていなかった粟島についに行ってきました。

観光目的ではなく、粟島の海の磯やけや、地球温暖化などの問題を改善していくためのプロジェクトのための顔会わせでした。

磯やけの原因のひとつとして、山から流れ出る鉄をはじめとするミネラル分が、山が荒れていたり、河川改修などで海まで届かなくなったため、人間が鉄分がなければ生きていけないのと同様、海の植物や生物もほとんどいなくなってしまったことがあります。

そこで、鉄と炭をあわせて、鉄と炭素の電位差で、鉄がイオン化して植物プランクトンが吸収できる大きさに流れ出てるため、植物プランクトンが劇的に増え、そこに海藻が生えてきて、魚も戻ってくる。山や河川を自然に戻すという時間のかかることをやりつつ、失われた海の生命を蘇らせるために、大量の鉄と炭を海に散布するという計画です。

今まで、いろいろな漁業組合へこのプロジェクトの話を持ちかけてきたのですが、突然海のものとも山のものともつかない案を提案されたことで急にOKを出していただくことはできなかったのですが、回らせていただいたところから紹介に紹介を重ねて、粟島の漁業組合がこの問題に鉄と炭で真剣に取り組んでいるという話を聞き、連絡をして、一ヶ月以上した後にようやく訪問が実現しました。

チャコールブラックスとしては、鉄と炭を混ぜた団子である鉄炭団子の提供や、その散布時期にあわせた粟島ツアー、原料となる使用済みカイロの回収などで協力できそうで、そのほかにも島と本土をつなぐようなかかわりができたらと思っています。

このプロジェクトは粟島だけでなく、海の二酸化炭素の吸収量は陸地の数倍と言われているので、植物がいなくなった砂漠化した海の植物を育てる「海の植林」として、温暖化対策でもあり、多くの海が磯やけで苦しんでいるので、それを復活させていくためのモデルのひとつとなると思っています。

粟島では今は4人の中心メンバーがいて活動していますが、その4人からはじめた活動が全国や世界に広がっていくかもしれないなと思います。

前置きはこのくらいにして、写真を紹介しながら、海の磯やけの現状やプロジェクトの内容についても触れていきたいと思います。


新潟には珍しい絶好の粟島日和。


フェリーもなかなか大きかった。収容人数は500人弱のよう。


船の先頭にはいけなかったので、タイタニックの「I'm flying!」はできなかった。


さらば本州よ。


監視塔みたいなのか、こんなに高いやつに登る勇気はない。

船乗りはこういう訓練も必要なんだろうか。日露戦争のときの東郷さんとかは、こういう上に立っていたのだろうか。


島が見えてきた!結構でかい!と興奮。



本当に想像していたより大きい。パンフレットを見ると250m前後の山が二つもある。


話は突然変わりますが、漁業組合の参事の渡辺さんと、観光協会の神蔵さんに海の現状などを案内して説明してもらいました。

僕は山も始めたばかりで素人ですが、海については釣りもほとんどやったことがないし、ダイビング経験もないから全くわからない。

渡辺参事の説明によると、磯やけはこういうところから見てもかなり危機的状態にあることがわかるという。

昔はこういうところから眺めても藻場が見えたらしい。


すごく見えにくいというより、写真レベルでは確認不可能ですが、写真の真ん中の左端あたりにブツブツしたのが浮かんでいて、それが藻場。昔はこういうのが全面的にあったらしいけど、いまでは写真にも写らないほどの小さな点でしかない。

23年ほど前を境に、藻場が目に見えて減少していき、アワビなどの収穫量も3000~4000万個あったのが、今では300万個くらいだという。

「20年前の海はどこへ行った...」

と渡辺参事。


鉄炭団子の開発者である無有産(むうぶ)研究所の杉本幹生さんを講師として島に招いて勉強会を開催したときに、まず一緒に島を1周してくれた。

そこで杉本さんが行ったことは、

「砂浜が白いでしょう?昔は黒っぽくありませんでした?」

と言った。

そういえば、昔は黒っぽくて、砂鉄もいっぱいとれた記憶があった。

この黒っぽい鉄で、島全体が岩地のために昔からもともと山全体が貧弱で今も変わっていないため、山が荒れているからミネラルが海に流れなくなったとは考えにくい。

原因は砂防ダムではないかと考えられる。

砂防ダムが砂と一緒に鉄分が川や海へ流れ出るのを止めている。


こちらが鉄炭のプロジェクトの作業をしている場所を案内してくれている神蔵さん。

うしろに見えるのは、やしがら袋。

この中に使用済みカイロの中身を入れて海に設置するのも案のひとつ。


これは、ペットボトルにカイロの中身(主に鉄と炭)とクエン酸と水を入れたもの。

一晩くらいでカイロの中身はとけて、植物プランクトンが吸収できるレベルになり、これを川から海へ流す。


左は鉄炭だんごを作るために鉄と炭とおかゆを混ぜてこねたもの。左は冬の間に回収した使用済みカイロ。

粟島の中だけでカイロを回収しても人口が多いわけではないので、量は制限されてくる。

回収に本州から呼びかけることができると考えています。


粟島には竹炭プラントがあり、これがその炭窯。もとは瓦焼きの窯だったらしい。


これは神蔵さんが機械屋と作った竹酢液の蒸留装置。かなり本格的でオレも欲しい。


温泉のトイレにも消臭用に竹炭が置かれていました。


宿泊した民宿は、西側の釜谷の市左ェ門さん。

市左エ門さんのブログ。

http://blog.goo.ne.jp/itizaemon-oncha/


西側は釣りスポットとしていいようで、釣り客が多いらしい。

作家の椎名誠も直木賞を取るまで、毎年この近くのキャンプ場に仲間とキャンプに来ていたらしい。本でも読んだことがある。「あやしい探検隊」シリーズ。



今度は朝食。朝食ももちろん魚がメイン。朝には珍しくご飯を3杯も食べた。


食後は軽トラを借りて、島を一周してみた。

上の写真が、磯やけの原因のひとつとなっていると思われる砂防ダム。全国でかなりの量をつくったようで、この近くでもいくつも見た。



昨日の晴天とは世界がまるで違うような感じ。


これが山の上にあったバイオマストイレ。おがくずなどのバイオマスで分解される。使用後はかき混ぜるために、後ろの自転車を前後トータルで30回転ほどこぐ。


下の写真が、到着時から返るときまでお世話になったお菓子屋の勝っちゃん。

千代華というドラ焼きを半分にしたようなお菓子を作っていて、あずきは全て粟島産。

昨日は今日明日の池袋でのアイランダー2010というイベントに出品するためにたくさん作っていて、腹をすかせて通りかかったおれたちにも分けてくれた。

アイランダー2010
http://www.i-lander.com/


昼飯は民宿のおかみさんにお願いしてワッパ煮を作ってもらった。

ワッパという木の桶みたいな入れ物に魚と野菜が入っていて、そこに熱した石を投入して加熱する。

タイトルの「アブラコをワッパ煮に再び」というのは、昔はアブラコという、ワッパ煮に使う魚がたくさんとれたのだが、今ではあまりとれなくなってしまったから、スローガンとして考えているという。

しかし、記憶が定かではないので、「アブラコの海を再び」だったかもしれない。


数えたら、2日間で10匹も魚を食べた。帰ってからもおみやげにもらった魚を食べたので、11匹ちょい!新記録。



このように、島内のいたるところで使用済みカイロの回収箱が置かれている。


さらば粟島。次はツアーで人をたくさん連れて来ます。


というわけで、4月か5月の間に、何回かボランティアで作った鉄炭団子を粟島へ持っていって、周辺の海に散布するツアーを行います。釣りや魚や離れ島やおもしろそうなことが好きな参加者を募集します。

そこに至るまでに、鉄炭団子を学校や幼稚園の授業などで作らせてもらったり、炭焼き小屋に遊びにきてもらって団子も作ってもらうなどいろいろな作戦が必要なため、多くの人のご協力が必要になると思います。ご協力よろしくお願いします。

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