昨日、久しぶりに電話で誕生日が同じ日のOさんと話した。
年は2つ離れているけど、誕生日が同じ、というだけで不思議な親しみを感じてしまう。
そんな彼女が最近気づいたこと。
初めて会った数年前は、なんだか自分が天使みたいないい人間である錯覚をしていて、また、そうでなければならないと感じていたこと。
しかし、それが自分をつらくさせていたこと。
でも今は、どんな言葉を使っていたかわすれたけど、
「悪くてもいいじゃん」
て思ったら、すごく楽になった。自分自身を取り戻した。
僕もこの数年間は似たような経験で、例えば、コーチングをやっていたり、環境活動をやっていたりすると、
「いい人でなければならない。」
「立派な人でなければならない。」
というカン違いが自分を苦しめ、身動きできなくさせていたというのに気づいたのは最近のこと。
「怒りを手放したまえ」
と、多くの心理学などの本では言う。
「怒りを手放す」ということはどういうことか。
怒りの気持ちは消そうとしても消えないし、自分自身の中に閉じ込めてしまえば誕生日が同じ我々が経験したのと同じ辛さを味わうことになる。そして消そうとしても消えないし、消したつもりでも消えていない。
これは怒りを手放したことにはならない。
「怒りを手放す」
とは、どういうことか。
今の自分なりの答えは、
「ムカツク~!」
という言葉とともに、すっとばしてしまうこと。
ムカツクことはムカツクと正面切って言う。
そんな根性がなければ、話を聞いてくれる人に「あいつ、ムカツク!」と文句を言う。あるいは、月に向かって「ムカツク~!」と叫ぶ。
「ネガティブな言葉を発してはいけない」
という言葉もよく聴くようになったけど、
ネガティブな言葉ですら、その生まれてきた意味というものがあると思う。
今日も叫ぼう。
「ムカツク~!」
と。
特にムカついているわけではないけど、自分を「いい人」だと思い込んでいて、こういう言葉を言わなくなっていた時期があったので、「ムカツクぅ~!」とかふざけてでも言っているとアホな自分自身になったような気がして気分がいい。
ムカツクものはムカつく。
ただし、ムカツクというのは、誤解やお互いの背景を共有できていない、自分自身を守るためなどいろんな原因がある。
ムカツいていただけでは、世の中は良くなってはいかない。
ダイアローグという対話の可能性を信じているが、人類そのものが成長するまで、自分自身が成長するまで、
右手にダイアローグ。
左手に「ムカツクぅ~!」。
をもって生きていく。
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