2010年5月1日土曜日

4月29日のやっちまった!

朝7時に炭焼き小屋に到着すると、前日に購入しておいた七輪に火をつける。

バーベキューセットか七輪か迷ったけど、島根にいたころ七輪が便利だった体験があったので七輪にした。しかし使ってみるとなんか違って、あれは火鉢だったか悩む。

失敗してしまった「炭になりきれなかった炭」を使ってしまった小屋をきれいにするのも理由のひとつだけど、さすがに炭になりきれていないだけあって、最初は炎が出てくる。

しかしその炎もすぐに治まるので、これはもしかしたらもうすこし「ねらし」をしっかりやればよかったのか?


七輪の思い出といえば、小学生のころ、ろうそく作りに熱中したことがあって、市販のろうそくを固め直すだけなんだけど、友達の家で友達の父親が七輪に石炭みたいのをいれて、その中にろうそくを入れてくれた。

ろうそくは驚くほどのスピードでとけて、何本もろうそくをつくることができたが、鍋の中にいれて熱していたろうそくはたちまち火がついて炎をだしてしまった。

びっくりしたおれは、近くのバケツの水をかけたが、火は水をかける前よりも激しく燃え上がることになってしまった。


七輪でお湯を沸かし、コーヒーを入れた。

なんでこういうことをもっと早く思いつかなかっただろうか。

「仕事」しかなかった炭焼き小屋に「楽しみ」というものが加わった。

次はイカを焼いてみたいと思った。ご飯も炊けるかしら、と思った。インスタントラーメンもできるでしょ。辛ラーメン。と思った。


コーヒーを飲むと、前回ほぼ灰になってしまった炭を出す。

炭の質はかなりよく、100円玉とかをたくさん落として、チャリチャリチャリ~ン、というような今まで聞いたことのない音がする。ハンマーで強くぶったたかないと割れない。

今回は初めて手製の秘密兵器をつかった。

灰が多く混じっているので、こういう網の上でふるいにかけて、灰の粉を落としていく。

灰はたくさん出たので、白炭を焼くときに消化に使う「スバイ」に使う。たくさんとれてがっかりだけどちょうどよかった。

しかしこの秘密兵器、まだ作成中で不良品だということもわかったので修理しなければならない。



炭を全部出し終えるのは米袋たった3袋分だったのですぐ終わった。

次は苦手は材料を窯に入れること。前回はなっとーが手伝ってくれたけど、ひとりだと何時間かかるかわからない。

しかし、ここも前日体育館で30分のエアロバイクをこいで、筋トレマシンで軽い重さで体をほぐすようにやっていたからか、全身の血のめぐりがいいような気がして、サクサクと進んだ。



そして、火を起こす。これも焚き火の経験とかあまりないので何時間かかるかわからない。

今回は以前の経験からちょっと学んだ。

一番下に、くしゃくしゃにした新聞紙を置いて、次に乾燥した細い枝や葉をたくさんのせて、その上に細く割った乾燥した竹を載せて、下から火をつける。

なんと、今回はものの数分で火がついた。

上の写真は、七輪で細長い魚を焼いているのではなく、雨にぬれてしまった薪用の竹を乾かしています。

こういう努力や工夫があって一発で火がついてくれたのかな。


日に日に花も緑も濃くなっていきます。

ということは、周辺がジャングル化してしまうということなので、緑の薄い今のうちに、周辺の草刈りをしています。



笹は燃やすと、笹団子のにおいがした。

「昔、山は掃いたようにきれいだった」

と聞いたことがある。

燃料を油ではなく、山の資源に頼っていた時代。

山から薪を拾い、炭を焼くために古い木を切り出し、落ち葉ですら火付け用に使うとうことなのだろう。

「掃いたようにきれい」

だと、自然や動物にとってどうなのだろう、と思ったけど、人間が使わせてもらうエリア、動物が住むために手付かずのエリアなどが分かれていたのだろうと思う。

炭焼き小屋の周りのほんのちょっとの範囲でも、燃やしてしまいたいけど燃やしきれない刈り取った草や、冬の間の折れてしまった枝などがある。


写真でみると、煙がまだ薄い。

窯が暖かいので、煙はすんなりではじめ、炭化していくことを知らせてくれるにおいの変化も早く、全てが順調に進んでいたかのように感じた。

しかし、5時近くになり、煙突の温度は下がる一方で、煙も消えてしまった。


これから夜中まで再度口焚きをする気になれず、翌日の再チャレンジにした。

有酸素運動のおかげで良かった体調も気持ちもぐったりとしてしまった。

今まで何回も口火焚きで火が逆流して火事を起こしそうになった経験から、バンバンと燃やしきれなくなっている自分に気づいたのは夢の中で。

夢の中で過去の失敗が何度も再生されて、寝ていながらも精一杯の知恵を出していたよう。

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