2010年5月11日火曜日

恐怖の会議

組織や集団をつくるときに、悪夢としかいいようのない恐ろしさは、リーダーだけが仕事をして、周りの人は何もしないけど文句だけいいまくること。

これはリーダーの自然な人柄で逆のシチュエーションになる場合もある。自分には力はないけど、周りの人がいろいろとやってくれるという状況。

そういう人柄ではない人はどうすればいいのかというと、努力するしかない。仕事を手放す努力、仕切って管理したくなる気持ちを手放す努力。

ファシリテーションやコーチングなどの組織開発の手法を学んで実践することが第一歩だけど、最終的には「手放す」ということが、一番のチャレンジとなる。「無責任なのでは...」と自分自身に不安を持ってしまう自分となだめて無責任だと思うくらいゆるめる。

世の中の多くの上司が「部下が使えない」と悩み、ひとりで深夜まで仕事をしてしまうのは、こういう力学がわからない、もしくは情報としては知っていても感覚として理解できない。

わかってはいてもなかなか難しく、「仕切りやになりたい自分」が現れたり、「管理しなければ不安」に思う自分が出ててきたりしてしまう。そのため、たくさんの人に協力してもらって何かを行っていくというのは楽しく、やりがいのあることだけど天国と地獄は紙一重です。

昨日、ある団体の会議にある事業を一緒に行うことができるかどうかということを検討しに参加したら、その団体の状態は、まさに「地獄」の状態だった。

全体像を把握しているのが副リーダーだけで、後のメンバーは発言しない人がほとんどで、「リーダーに対してまっとうなことを言うのが自分の仕事」と思っている人が数名。

最初、あまりにもしつこく副リーダーの説明の言葉尻をとらえて突っ込んでいるのは、「酔っ払っているのではないか?」と思ったけど、完全しらふ。世の中、薬物中毒者や酔っ払いほど、一見まっとうに見えることを言う。

その団体の運営は長年リーダーが出席していなく、副リーダーが事実上のリーダーになっているのは、こんなことに疲れてしまって、登校拒否のような状態になっているのだと思った。

「来るもの拒まず」

というのはどんな病的な人が混じっているかわからないので、すごく恐ろしいことで、自分の度量が試される。

度量がある、もしくはスキルや度量を身につけたいと思ったら、「来るもの拒まず」路線でいいだろうし、「自分にはそんな度量がない」と思えば、限定性を持たせるのもいい。

ただし、限定性を持たせたとしても、昨日の酔っ払いのような感じの人とまではいかなくても、問題は必ず起こってくるものなので、結局はスキルと度量の両輪を磨いていく努力を怠ってはいけない。

昨日のあの会議は2時間とても不快な思いをしたあとに、「我々は我々でやらせていただきます」ということになったが、あのバカらしさがあったからこそ、自分たちでなんとかしていくという踏ん切りがついたと思う。

あの副リーダーの気持ちを考えると心が痛む。彼は自宅に帰ってからもつらい気持ちでいただろうし、酔っ払いのような文句だけ言う連中は、「今日もいい仕事をした。まっとうな発言をした。」と満足して眠りについたのだろう。



ちなみに、先日まいた芝の種は、「こんな死の大地に生えるだろうか」と心配をしたけど、今日は1個だけ芽が出ていた。写真の右端の下から4センチくらいのところに、緑色した小さな物体が見えるだろうか。これこそ芝の芽に違いない。


芝生には炭が欠かせない。しかし、炭は商品でもあるので、この芝生化のためだけに材料を切りに行って、炭を焼いている時間もないので不安に思っていたら、なんと、学校のジャングル化していた庭を整備中で、そのごみがこんな感じに出ていた。

「これを引き取って炭にして芝生化の肥料としたい」

と申し上げると学校の方は、処分に困っていたので大喜びだった。

「ごみにしかならない資源を炭にして有効活用する」というのは、炭プロジェクトの活動のきっかけであるので、こんな都合のいい話はない。実行段階では必ずメディアに取材に来てもらわなければならない。

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